My役所ライフ

役所生活30数年のエピソードを通じて、役所でのちょっとした仕事のコツや活き活きと働くヒントを紹介します!

立つ鳥跡を大いに濁す

 役所というのは3年ぐらいで異動になる。だから、自分の異動周期に合わせて仕事をしがちだ。

 管理職になり、優秀な人の後に配属されると、「当面の懸案は全部済ませといたからね。後は好きにやって」と言われることがある。

 決して課題がないというわけではない。「次の人には自分のせいで負担はかけられない。自分にできることは全部やった」ということなのだ。

 

 確かに、仕事を引き継いで、まったく整理もされず手つかずの書類が山積みになっていると腹がたつ。でも、それ以上に困るのは、新人で配属されて課題を把握できず何をしていいかもわからないことだ。仕事を託しておいてもらった方が自分の仕事が明確でやりやすい。

 

 もう一つ、なによりも自分の配属期間で完結しよう、自分の代では問題を起こさないようにしようとすると現状改善型になるし、自分にできる以上の仕事をしなくなる。もっと長期に、組織全体ですべき大きな仕事があるかもしれない。

 

 そんな思いがあり、立つ鳥、跡を大いに濁すことを信条にすることにした。

起承転結のどこが自分の仕事だって、そこをがんばるだけ。たまたま果実を収穫できればラッキーだけど、花が咲く瞬間を見られなくても種を植えたり、水を撒いたりする人が絶対必要。

 サッカーだって、じっと、キックオフもしないまま引き継ぐなんて、ありえない。ボールを蹴るからこそ試合は始まる。

 

 とはいえ、ややこしいことを押しつけやがって、無責任な奴だって、結構、恨まれているのだろうなあ。

 そんな4月が、また来る。

公務員の常識は世間の非常識

 

 

 公務員は、採用されたときが一番優秀で、だんだん質が悪くなっていく

街づくりに一生懸命取り組む人から言われた言葉だ

 難しい学力試験を突破し何度も面接を受けて採用されたのだから優秀であるのに間違いない。でも、採用されたら、役所の理屈やルールに染まっておかしくなる。

 

 市民が街角を掃除していても、見ているだけ、お礼も言わない、まして手伝おうともしない。それが当たり前だと思うようになる。

 管理協定で取決めたから管理費払っているからとか、そんな役所の理屈より、目の前におったら、普通、塵取りの1つもとってこようと思わんか。

隣人に醤油借りたら、新しいものを買って返すのが世間の常識なんやで。

 

役所にいると法律や条例に従ってすることを求められる。でも、ルールを破ると後任や他の所属が困るから前例以上のことはしないなどは、自分たちが都合よく仕事をするためのルールに過ぎない。ルールに従って仕事をすることが楽だということを学習し、いつしか、そのフレームの中に閉じこもる。

 法律も要綱も実は先人が問題を解決するために苦労してがんばったことを後輩たちにも引き継ごうという崇高なものだったはずなのに。

 

 それは決まりですということを常識の量りで一旦考えてみる。

 震災の時、平等とか、ルールとかで目の前のことは決して解決しなかった。

この避難所には赤ちゃんが多い、そっちは大人、あっちは老人。でも、均一におむつ、毛布、服等が配られてくる。

「こっちはおむつが余っている、そっちは下着があまっている、じゃあ交換しよう」と、別の避難所と直接取引をし始めたのは、一担当者だった。僕には考えも及ばなかった。

自分にやるべきこと、自分にできることをする、その尺度は常識だ。決まっていることが常に正しいと思うなかれ。

かじ取りは早めにちょっとがかっこいい

 市役所は旧態依然としていて、何も変わろうとしないといわれますが、役所の人間は真面目なので、実は何とか時代に合わせようとずっともがいています。

 

 でも、市役所のような大きな組織は、大きな船のようなもの。慣性の法則がある中、大きな船のかじ取りに、急旋回はご法度多くの乗組員がいて、多くの乗客(市民)もいる。急旋回では、様々な部署につく乗組員も十分、対応できないまま混乱し、乗客はパニックに陥り、最悪、船が沈没してしまう。

 

 神戸大学三品和広教授は、戦略として何かを変えるということは実は10年のスパンで考えることだとデータに基づいて指摘しています。今日の勝ちをめざした安易な戦術は、だいたい失敗すると。

 

 そして、戦略の本質は、そうした時代の変化‘機‘を読み取る人材を育成し、登用していくことだとおっしゃっています。ちなみに、この本は、ちくま新書の「経営戦略を問いなおす」というものです。好きな本です。

 

 もちろん地方自治といえども、大きな時代の変化に適切に対応する必要がある。

 だから潮目を見極め、早めにちょこっと舵をきって、乗客の気が付かないままに次の方向に向かう。

 ほんとうのかっこいいリーダーってそういうものかも知れません。

役所の広報の大きな勘違い

 役所のだすパンフレットは、とにかく細かくダラダラ長く、何が言いたいのかわからないといわれていたが、最近、すごく工夫がされるようになってきた。

 あれも書ななきゃ、これも書かなきゃと言い訳のために書いていたのだが、デザインやアイキャッチ重視で、「詳細はHPをご覧ください」といった形に委ね、かなり洗練されてきたと思う。

 しかし、そのパンフレットの行く末はどうかというと、結構、誰も見ない棚(、ひどいときには倉庫)に山積みになり、賞味期限切れで廃棄されることも少なくない。

 

 役所は、市政記者クラブがあったり、市民が多く訪れる出先事務所などに予めパンフレット置き場があったりで、配ることに苦労しない。そこで、パンフを配ることに気を回す必要がない。

 役所の人間は真面目で、最高のパンフレットを作ることを最高のミッションとがんばるのだが、誰に、どこで配ってどんな風に使うのかという営業の視点が欠けがちになる。若者相手の広報だったら、役場の市政案内コーナーにパンフを置いてもまったく意味がない。

 

 民間の広報や営業の人は、パンフを作ることを目的にするのではなく、どれだけ多くの人に知ってもらうのかを考え、その手段としてパンフを作る。パンフレットは、あくまでもマスコミを回ったり、ターゲットを直接訪問したりするための道具だ。

 

 大事なことは、誰に伝えたいか、彼らにリーチする手段は何か、そのうえで、どんな風に中身を作るかを考える徹底したマーケットインの思考。

 どんな素晴らしい名画を完成させても、誰も見ることのできない密室に展示するなら、意味はないのだから。

 

 今回は、ちょっと真面目に今、悩んでいくことを書いてみた。

交渉は自分の主張をどれだけ通すか?

「交渉事とは、勝ちきらず、自分の主義としては、双方、納得がいくように、51対49のラインを探すのだ」と教えられたことがある。

正しいことをやろうとしているのだから、100対0だっていいはずだが、その人のいうには、「相手には相手なりの正義があるし立場があるから、絶対こっちが正しいとは限らない」、 さらに、誰かが「それは自分のいうことが正しい、あなたの言うことは聞けません」と突っぱねて話を付けたと思っていても、だいたいは別の誰かが見えないところで、とばっちりを受けて、事態を収拾するために汗をかいているものだ」という。

 だから、「交渉事を一方的に進めて自慢顔をしている奴には腹が立ってしょうがない」。

 

 その上司は、そうした場合に、その相手から泣き付かれ、問題が表面化しないように陰で事態収拾に苦労する人だった。自分の直接の仕事でもないもめごとで、相手の市民に事情を説明するため、玄関先で帰りを待ちつづけていた。

 一方、相手のいうことを何でも聞き入れる人間を「役所のお金で自分がいい恰好をする奴は最低だ」という人でもあった。

 

 最近では、役所といえども、仕事において、結果をだす、都市間競に勝つ、スピード感を持つ、など、51対49の理屈が相容れない風潮になっている。

 しかし、アメリカ流MBAの交渉術においてさえ、いかにWin-Winとするかが交渉の目的であるとすることを考えても、この上司が経験から導いた、1%のこだわりの実践は、やっぱり凄いのである。

人に怒られても、へこまないコツ?

 

 人間関係でうまくやろうとと思っても失敗することはたくさんある。

もちろん、ミスは気をつけないといけないが、それ以上に、思いもよらぬことで怒られたり(特に理不尽に)、相手の作戦のもとで「出入り禁止!」と言われたりすることも結構体験するものだ。

それで、失敗しないことに気を回すより、結局、どうメンタルにやられないかが大事だと最近思う。

 

僕の出会った強者のメソッドを紹介すると、まず、自分流に解決しようとせず先輩のマネをするというもの。例えば、A先輩は、何を言われても、同じことを繰り返す、B先輩は、むずかしい理屈を徹底的に述べる、C先輩は、淡々とただ聞いてすいませんと泣き、すいませんを繰り返す、などのパターンを持っておき、そのパターンのどれかで人と話をして、失敗すれば、ああこの先輩のやり方は間違ってるなあと先輩のせいにするもの。

 

それから、もう一人の強者は、あるミスが露見した際、さあ、怒られに行ってくるかと、上司などに「ちょっと怒らせにいってきます、ガス抜きですから、しばらく、怒った後は時間を置きましょう」と、まず、内輪に理解者を作っておく。次に、相手に「お前の顔なんか見たくない」なんで怒られても、「なあ、やっぱり怒ったやろう」と部下に言いながら、自分は最初から計算通りと涼しい顔している。もう少しうまい言い方があったのでは?どこまで計算づくか?と疑問に思うが、強がることで周りもそうですねえと言うし、上司からも怒られず、自分は傷つかないようにしていた。この図太さは印象的だった。

 

それから、この女性はすごいなあと思ったには、「私、怒られたり、文句を言われたりするのは平気。だって、そう言われるたびに、周りは、『あの人、一生懸命やってるのに、可哀想』とかばってくれる人が増えるから」と平然という人がいたこと。そこまで自分の仕事に自信をもてればいいなあと尊敬さえもした。

 

ところで、怒られてへこむのは、そのことに自分の問題があるという以上に、相手の人間性に問題があったり、相手が自分の思うようにことを進めるための作戦であったりするにもかかわらず、すぐさま上司が事態を収拾しようと思うからだ。

その気持ちもわかるだけに、結局、僕たちがへこんだときは、同僚と酒を飲みに行って、愚痴をいったり、互いを慰め合ったりすることで明日を迎えている。

文章の書くコツ(1) まず文章は、主語をいれた単文の連続で作る

 

 

 ある大会の宣言文を作る機会があった。経済関係の決起集会で、地域経済の現状やこれからの政策への提案などを会長が読み上げるというものだ。当然、格調高い文章を創ろうとした。

 草案が出来上がり、当時の上司にみせたとき、だめだしをくらった。「重文、複文が続き文章が長い。主語がないから、何を言っているのかわからない。誰が読んでもわかるようにせよ。広報文の基本がなっていない」

 草案については、周りの人にも見てもらっていたし、結構、好評だったので、なんやと思ったし、実際、そう言った。すると、「じゃあ、徹底的に付き合うから校正しよう」と夜中まで拘束された。

 

 その人の直し方は、きわめてシンプル。すべての文章に主語と述語を付け単文化することだった。

 確かに文章を書く時のコツというか、失敗しない方法は、その上司が言ったように、重文、複文をできるだけ避け、単文を意識し、主語を必ずいれることだ。

 腹が立っただけに、その記憶は、今の僕の文章作りの基本となっている。

 

 役所にはいると文章を書く機会が多くなる。最初は、過去の文章を焼き直したり、いろいろな文章を繋ぎ合わせたりすることから始まる。

 すると、「本市に、より多くの観光客に来ていただくために、様々な観光資源を開発するとともに、おもてなしが充実されることによって、集客が促進される」という文章のように、能動態と受動態が入り混じっていたり、最初の「~ため」と後段の「~促進される」と同じ目的を重複して記述したりの迷文が登場する。

 「本市は、集客を促進する。そのために、様々な観光コンテンツを開発する。おもてなしを充実させる」と文章を短くきれば、間違わないし重複も避けられる。

 

 ところで、直してもらった文章は、確かにわかりやすくなった。でも、はっきり幼稚っぽかったので、別の上司がさらに直しを要求してきたということにして、また元に戻して完成原稿にした。