ごくごく私的な
なぜ、そんなに働くのか。
あるエリートが「いつか常春の島で、家族とともに、好きな時間に目覚め、好きな時に釣りをして、好きなものを食べる」と答えた。
それを聞いた南の島に原住民は、それなら、いつも俺らがやっていることだと、先進国への憧れをもてなくなった。
そうだな。別に一生懸命働いたからって、お金がたくさん儲かる訳でなく、そんな誰にも喜ばれず。疲れた時、この話を思い出すんです。
今、自分の家を改築していて、親のところで生活をしています。年寄に迷惑かけても、とためらっていたけど、嫁は「最後の親孝行やと思って、親のお世話になり」と(責任放棄かと一瞬思ったり(汗))。
それで朝も夜も、そして弁当まで、何十年ぶりに、お母ちゃんにご飯を作ってもらうことになりました。
お母ちゃんががんばりすぎて、「おいおい疲れんといてよ」と思いつつですが、これが、けっこう、うれしい。昔は、お母ちゃんご飯は好きでも、カレーライスだけは、じゃがいもが、とけすぎて嫌いだったのだけどなあ。
ところで、僕は、毎晩、神さまに一日のお例のお祈りをして寝るのが習慣なのですが、親に面倒を見てもらうようになってから、親のことではなく、子どもたちの人生が幸せでありますようにと口にでるように。なんだかなあ。
それから、そんなときに、スマホがブルルと「○日に飲みましょう」って、友達から来ると素直にうれしくて。
で、ラジオから、玉置浩二の「メロディ」が流れてきて、「あのころは何もなくて、それだけで楽しくやったよ」。
そんなとき、こんなことを書いています。
で、僕としては、今の今を幸せだって思うことが幸せなのだなのだと思ったのです。
とりとめもなく、書いて、生きてるだけで、本日もお許しください。