嫌われる勇気
「嫌われる勇気」というアドラー心理学の本がベストセラーになったけど、嫌われる勇気っていう言葉が結構、気にいっている。
自分が悩んでいたことを振り返ると、ある失敗が原因であったにせよ、結局は、それによって人がどう自分を思っているかに帰結するんじゃないか。
よく怒鳴る上司が結構いた。手を抜いている奴はもちろん、自分の考えと異なる方向に進める奴まで、容赦なく怒鳴る。
「あかんと思ったら、怒鳴らなあかん。そうせんと、次からもピリッとしよらん」
一方、一生懸命やっているからと何も言わらない上司もいた。そのクセ、後から、「あのまま、放っておいていいやろか」と僕に言う。
「それなら、止めた方がいいのではないですか」
「そんなこと言って嫌われるのは、いややんか」
結局、僕が話しにいくこととなったのだけれど(僕は嫌われてもいいのだろうか、、、)。
何かをしたとき、判断したとき、周りとのあつれきはつきもの。
できるだけ相手に迷惑をかけたり、相手の体面を壊したりしないように気遣うけれど、ちょっとのことを言い忘れてたり、それをしても、もめることもある。結局は、勝手に決めてとか、自分のテリトリーにずけずけと入ってとか、自分だけいい恰好をしやがってということで、悪口を言われる。
たいして実害もかけず相手に迷惑もかけていないのに、相手が腹を立てたということで、なぜ、自分が反省し傷つかないといけないのか。自分がしたいことをしようとするなら、そんなことを気にするな。それが嫌われる勇気ということのようです。
前にも、書いたけれど、地域で活躍されているある女性は、何かするたびに、周りから、嫉妬され、悪口を叩かれるという。出る杭は打たれるということだけど、その女性は、「悪口を誰かに言われるたびに、あれだけ頑張っているのだから、応援しようと言ってくれる人も出てくるから、悪口なんか、ぜんぜん平気、むしろ、応援団を増やしてくれて、ありがとうと思うの」と。
こんなに強くなれたらいいな。その人は本当に献身的に働いている。僕もその女性のファンです。