My役所ライフ

役所生活30数年のエピソードを通じて、役所でのちょっとした仕事のコツや活き活きと働くヒントを紹介します!

かじ取りは早めにちょっとがかっこいい

 市役所は旧態依然としていて、何も変わろうとしないといわれますが、役所の人間は真面目なので、実は何とか時代に合わせようとずっともがいています。

 

 でも、市役所のような大きな組織は、大きな船のようなもの。慣性の法則がある中、大きな船のかじ取りに、急旋回はご法度多くの乗組員がいて、多くの乗客(市民)もいる。急旋回では、様々な部署につく乗組員も十分、対応できないまま混乱し、乗客はパニックに陥り、最悪、船が沈没してしまう。

 

 神戸大学三品和広教授は、戦略として何かを変えるということは実は10年のスパンで考えることだとデータに基づいて指摘しています。今日の勝ちをめざした安易な戦術は、だいたい失敗すると。

 

 そして、戦略の本質は、そうした時代の変化‘機‘を読み取る人材を育成し、登用していくことだとおっしゃっています。ちなみに、この本は、ちくま新書の「経営戦略を問いなおす」というものです。好きな本です。

 

 もちろん地方自治といえども、大きな時代の変化に適切に対応する必要がある。

 だから潮目を見極め、早めにちょこっと舵をきって、乗客の気が付かないままに次の方向に向かう。

 ほんとうのかっこいいリーダーってそういうものかも知れません。

役所の広報の大きな勘違い

 役所のだすパンフレットは、とにかく細かくダラダラ長く、何が言いたいのかわからないといわれていたが、最近、すごく工夫がされるようになってきた。

 あれも書ななきゃ、これも書かなきゃと言い訳のために書いていたのだが、デザインやアイキャッチ重視で、「詳細はHPをご覧ください」といった形に委ね、かなり洗練されてきたと思う。

 しかし、そのパンフレットの行く末はどうかというと、結構、誰も見ない棚(、ひどいときには倉庫)に山積みになり、賞味期限切れで廃棄されることも少なくない。

 

 役所は、市政記者クラブがあったり、市民が多く訪れる出先事務所などに予めパンフレット置き場があったりで、配ることに苦労しない。そこで、パンフを配ることに気を回す必要がない。

 役所の人間は真面目で、最高のパンフレットを作ることを最高のミッションとがんばるのだが、誰に、どこで配ってどんな風に使うのかという営業の視点が欠けがちになる。若者相手の広報だったら、役場の市政案内コーナーにパンフを置いてもまったく意味がない。

 

 民間の広報や営業の人は、パンフを作ることを目的にするのではなく、どれだけ多くの人に知ってもらうのかを考え、その手段としてパンフを作る。パンフレットは、あくまでもマスコミを回ったり、ターゲットを直接訪問したりするための道具だ。

 

 大事なことは、誰に伝えたいか、彼らにリーチする手段は何か、そのうえで、どんな風に中身を作るかを考える徹底したマーケットインの思考。

 どんな素晴らしい名画を完成させても、誰も見ることのできない密室に展示するなら、意味はないのだから。

 

 今回は、ちょっと真面目に今、悩んでいくことを書いてみた。

交渉は自分の主張をどれだけ通すか?

「交渉事とは、勝ちきらず、自分の主義としては、双方、納得がいくように、51対49のラインを探すのだ」と教えられたことがある。

正しいことをやろうとしているのだから、100対0だっていいはずだが、その人のいうには、「相手には相手なりの正義があるし立場があるから、絶対こっちが正しいとは限らない」、 さらに、誰かが「それは自分のいうことが正しい、あなたの言うことは聞けません」と突っぱねて話を付けたと思っていても、だいたいは別の誰かが見えないところで、とばっちりを受けて、事態を収拾するために汗をかいているものだ」という。

 だから、「交渉事を一方的に進めて自慢顔をしている奴には腹が立ってしょうがない」。

 

 その上司は、そうした場合に、その相手から泣き付かれ、問題が表面化しないように陰で事態収拾に苦労する人だった。自分の直接の仕事でもないもめごとで、相手の市民に事情を説明するため、玄関先で帰りを待ちつづけていた。

 一方、相手のいうことを何でも聞き入れる人間を「役所のお金で自分がいい恰好をする奴は最低だ」という人でもあった。

 

 最近では、役所といえども、仕事において、結果をだす、都市間競に勝つ、スピード感を持つ、など、51対49の理屈が相容れない風潮になっている。

 しかし、アメリカ流MBAの交渉術においてさえ、いかにWin-Winとするかが交渉の目的であるとすることを考えても、この上司が経験から導いた、1%のこだわりの実践は、やっぱり凄いのである。

人に怒られても、へこまないコツ?

 

 人間関係でうまくやろうとと思っても失敗することはたくさんある。

もちろん、ミスは気をつけないといけないが、それ以上に、思いもよらぬことで怒られたり(特に理不尽に)、相手の作戦のもとで「出入り禁止!」と言われたりすることも結構体験するものだ。

それで、失敗しないことに気を回すより、結局、どうメンタルにやられないかが大事だと最近思う。

 

僕の出会った強者のメソッドを紹介すると、まず、自分流に解決しようとせず先輩のマネをするというもの。例えば、A先輩は、何を言われても、同じことを繰り返す、B先輩は、むずかしい理屈を徹底的に述べる、C先輩は、淡々とただ聞いてすいませんと泣き、すいませんを繰り返す、などのパターンを持っておき、そのパターンのどれかで人と話をして、失敗すれば、ああこの先輩のやり方は間違ってるなあと先輩のせいにするもの。

 

それから、もう一人の強者は、あるミスが露見した際、さあ、怒られに行ってくるかと、上司などに「ちょっと怒らせにいってきます、ガス抜きですから、しばらく、怒った後は時間を置きましょう」と、まず、内輪に理解者を作っておく。次に、相手に「お前の顔なんか見たくない」なんで怒られても、「なあ、やっぱり怒ったやろう」と部下に言いながら、自分は最初から計算通りと涼しい顔している。もう少しうまい言い方があったのでは?どこまで計算づくか?と疑問に思うが、強がることで周りもそうですねえと言うし、上司からも怒られず、自分は傷つかないようにしていた。この図太さは印象的だった。

 

それから、この女性はすごいなあと思ったには、「私、怒られたり、文句を言われたりするのは平気。だって、そう言われるたびに、周りは、『あの人、一生懸命やってるのに、可哀想』とかばってくれる人が増えるから」と平然という人がいたこと。そこまで自分の仕事に自信をもてればいいなあと尊敬さえもした。

 

ところで、怒られてへこむのは、そのことに自分の問題があるという以上に、相手の人間性に問題があったり、相手が自分の思うようにことを進めるための作戦であったりするにもかかわらず、すぐさま上司が事態を収拾しようと思うからだ。

その気持ちもわかるだけに、結局、僕たちがへこんだときは、同僚と酒を飲みに行って、愚痴をいったり、互いを慰め合ったりすることで明日を迎えている。

文章の書くコツ(1) まず文章は、主語をいれた単文の連続で作る

 

 

 ある大会の宣言文を作る機会があった。経済関係の決起集会で、地域経済の現状やこれからの政策への提案などを会長が読み上げるというものだ。当然、格調高い文章を創ろうとした。

 草案が出来上がり、当時の上司にみせたとき、だめだしをくらった。「重文、複文が続き文章が長い。主語がないから、何を言っているのかわからない。誰が読んでもわかるようにせよ。広報文の基本がなっていない」

 草案については、周りの人にも見てもらっていたし、結構、好評だったので、なんやと思ったし、実際、そう言った。すると、「じゃあ、徹底的に付き合うから校正しよう」と夜中まで拘束された。

 

 その人の直し方は、きわめてシンプル。すべての文章に主語と述語を付け単文化することだった。

 確かに文章を書く時のコツというか、失敗しない方法は、その上司が言ったように、重文、複文をできるだけ避け、単文を意識し、主語を必ずいれることだ。

 腹が立っただけに、その記憶は、今の僕の文章作りの基本となっている。

 

 役所にはいると文章を書く機会が多くなる。最初は、過去の文章を焼き直したり、いろいろな文章を繋ぎ合わせたりすることから始まる。

 すると、「本市に、より多くの観光客に来ていただくために、様々な観光資源を開発するとともに、おもてなしが充実されることによって、集客が促進される」という文章のように、能動態と受動態が入り混じっていたり、最初の「~ため」と後段の「~促進される」と同じ目的を重複して記述したりの迷文が登場する。

 「本市は、集客を促進する。そのために、様々な観光コンテンツを開発する。おもてなしを充実させる」と文章を短くきれば、間違わないし重複も避けられる。

 

 ところで、直してもらった文章は、確かにわかりやすくなった。でも、はっきり幼稚っぽかったので、別の上司がさらに直しを要求してきたということにして、また元に戻して完成原稿にした。

市長になったつもりで仕事をしろ

 

 新採当時、上司や先輩いろんな人から言われた言葉が「市長になったつもりで仕事をしろ」だった。

 あんまり多くの人から言われたので、疑問を持つことなく、そういうものだと思って働いてきた。

 しかし、その意味するところは様々。市民にとっては、向き合う職員が市の代表なのだ、そのつもりで応対せよというもの、市役所の仕事は幅広いのだから自分の担当の仕事だけを考えてはだめだというもの、たらい回しはするなというものなどなど。

 

 今、管理職になって、部下から「この仕事は○○課がやるべき」、「いやいや私のところではなく△△課の所管です」などと言われることがある。聞きながら、「それ、どっちにしろ僕の所管の仕事やんか、押し付け合いせんとじゃんけんでもして早く決めて」と思うことがままある。市長がそういう思いをすればたまらない。

 

 ところで、そう言った人達は、後々、大局長になった人もいれば、市民と大けんかして飛ばされた人、メンタルの病に陥った人、外に女を作って蒸発した人など様々だ。

 それでも当時は、酒を飲んだら文字通り、みんな市長になったつもりで、あんな上司では仕事にならんとか、これからはこういう方針でやるべきだなどと口角泡を飛ばしていた。

 

 仕事が優れて達成されていたかどうかはともかく、なぜ、そんなに仕事への愛着やモチベーションが高かったのだろうか。そんなことを言い合い一緒に酒を飲めることがその源だったのかと今にしては思う。

上司への説明で焦ったり挙がったりしないコツ

 上司や外部の偉い人への説明は自分の仕事がどう評価されるかという意味もあり、結構、緊張するもの。

 事前準備として、説明資料を作った後に、一つ一つのセンテンスについて、その意味、背景、他都市の状況などのメモを必死で書き込んで臨むということをしがち。僕自身もそうだった。

 でも、ほとんどは、聞かれもせず日の目を見ない。備えあれば憂いないとはいえ、毎度そんな絨毯爆撃のやり方は効率が悪すぎる。

 

 いろいろな人の対策をみて、自分なりにマネをしてみて役立ったことを列挙すると。

 まず、当たり前のことだが、自分で書いたことについては、理解しておくこと。よそから文章を借りてきてコピペする人が多いが、その意味を分かっていない人がまた多い。「書いていることを簡単に説明して」という素直な質問(これが最も質問として多い)に応えられないのは、資料の信ぴょう性を疑われる。

 

 それから、自分の作った資料は一晩寝かせること。そして、他人が作った資料として見直して、突っ込みたいこと、議論したいことは何かを考え、コメント版を作るにおいては、それを中心に調べてみることだ。絨毯爆撃ではなく、ポイントを見つけて考えるクセを付けると、資料をにらむ目が作られてくる。

また、この際、自分は何を言いたいのか、その項目だけは箇条書きしておく。相手からの質問攻撃で焦って、結局、本当に言うべきことを言わずじまいという経験は誰しもあるはず。ここだけ言えれば、この点の結論を得られればそれで良しという発想で臨めば、局所戦でやられても落ち込むことはない。

 

 それから、メンタル面では、そういう場に臨む前に、自分なりのおまじない言葉を持っておくことがいいと思う。僕は、「自分は現自分以上にもなれないし、以下でもならない」と言い聞かせて臨むことにしている。

 

 ある人から、絶対に相手に飲まれない方法として、その人間がおんなと抱き合うシーンを想像しろと言われた。「どんな人間でも、Sexするときは、裸になって、情けない顔をするんや。このおっさんは、どんな顔でするんかなあと思ってみ。絶対に上がらへんから」

 何度か試してみたが、確かに上がらなくなる。「こんなとこで、俺は何を考えてるんや」とちょっと情けない気持ちになるのは否めないが。