交渉は自分の主張をどれだけ通すか?
「交渉事とは、勝ちきらず、自分の主義としては、双方、納得がいくように、51対49のラインを探すのだ」と教えられたことがある。
正しいことをやろうとしているのだから、100対0だっていいはずだが、その人のいうには、「相手には相手なりの正義があるし立場があるから、絶対こっちが正しいとは限らない」、 さらに、誰かが「それは自分のいうことが正しい、あなたの言うことは聞けません」と突っぱねて話を付けたと思っていても、だいたいは別の誰かが見えないところで、とばっちりを受けて、事態を収拾するために汗をかいているものだ」という。
だから、「交渉事を一方的に進めて自慢顔をしている奴には腹が立ってしょうがない」。
その上司は、そうした場合に、その相手から泣き付かれ、問題が表面化しないように陰で事態収拾に苦労する人だった。自分の直接の仕事でもないもめごとで、相手の市民に事情を説明するため、玄関先で帰りを待ちつづけていた。
一方、相手のいうことを何でも聞き入れる人間を「役所のお金で自分がいい恰好をする奴は最低だ」という人でもあった。
最近では、役所といえども、仕事において、結果をだす、都市間競に勝つ、スピード感を持つ、など、51対49の理屈が相容れない風潮になっている。
しかし、アメリカ流MBAの交渉術においてさえ、いかにWin-Winとするかが交渉の目的であるとすることを考えても、この上司が経験から導いた、1%のこだわりの実践は、やっぱり凄いのである。
人に怒られても、へこまないコツ?
人間関係でうまくやろうとと思っても失敗することはたくさんある。
もちろん、ミスは気をつけないといけないが、それ以上に、思いもよらぬことで怒られたり(特に理不尽に)、相手の作戦のもとで「出入り禁止!」と言われたりすることも結構体験するものだ。
それで、失敗しないことに気を回すより、結局、どうメンタルにやられないかが大事だと最近思う。
僕の出会った強者のメソッドを紹介すると、まず、自分流に解決しようとせず先輩のマネをするというもの。例えば、A先輩は、何を言われても、同じことを繰り返す、B先輩は、むずかしい理屈を徹底的に述べる、C先輩は、淡々とただ聞いてすいませんと泣き、すいませんを繰り返す、などのパターンを持っておき、そのパターンのどれかで人と話をして、失敗すれば、ああこの先輩のやり方は間違ってるなあと先輩のせいにするもの。
それから、もう一人の強者は、あるミスが露見した際、さあ、怒られに行ってくるかと、上司などに「ちょっと怒らせにいってきます、ガス抜きですから、しばらく、怒った後は時間を置きましょう」と、まず、内輪に理解者を作っておく。次に、相手に「お前の顔なんか見たくない」なんで怒られても、「なあ、やっぱり怒ったやろう」と部下に言いながら、自分は最初から計算通りと涼しい顔している。もう少しうまい言い方があったのでは?どこまで計算づくか?と疑問に思うが、強がることで周りもそうですねえと言うし、上司からも怒られず、自分は傷つかないようにしていた。この図太さは印象的だった。
それから、この女性はすごいなあと思ったには、「私、怒られたり、文句を言われたりするのは平気。だって、そう言われるたびに、周りは、『あの人、一生懸命やってるのに、可哀想』とかばってくれる人が増えるから」と平然という人がいたこと。そこまで自分の仕事に自信をもてればいいなあと尊敬さえもした。
ところで、怒られてへこむのは、そのことに自分の問題があるという以上に、相手の人間性に問題があったり、相手が自分の思うようにことを進めるための作戦であったりするにもかかわらず、すぐさま上司が事態を収拾しようと思うからだ。
その気持ちもわかるだけに、結局、僕たちがへこんだときは、同僚と酒を飲みに行って、愚痴をいったり、互いを慰め合ったりすることで明日を迎えている。
文章の書くコツ(1) まず文章は、主語をいれた単文の連続で作る
ある大会の宣言文を作る機会があった。経済関係の決起集会で、地域経済の現状やこれからの政策への提案などを会長が読み上げるというものだ。当然、格調高い文章を創ろうとした。
草案が出来上がり、当時の上司にみせたとき、だめだしをくらった。「重文、複文が続き文章が長い。主語がないから、何を言っているのかわからない。誰が読んでもわかるようにせよ。広報文の基本がなっていない」
草案については、周りの人にも見てもらっていたし、結構、好評だったので、なんやと思ったし、実際、そう言った。すると、「じゃあ、徹底的に付き合うから校正しよう」と夜中まで拘束された。
その人の直し方は、きわめてシンプル。すべての文章に主語と述語を付け単文化することだった。
確かに文章を書く時のコツというか、失敗しない方法は、その上司が言ったように、重文、複文をできるだけ避け、単文を意識し、主語を必ずいれることだ。
腹が立っただけに、その記憶は、今の僕の文章作りの基本となっている。
役所にはいると文章を書く機会が多くなる。最初は、過去の文章を焼き直したり、いろいろな文章を繋ぎ合わせたりすることから始まる。
すると、「本市に、より多くの観光客に来ていただくために、様々な観光資源を開発するとともに、おもてなしが充実されることによって、集客が促進される」という文章のように、能動態と受動態が入り混じっていたり、最初の「~ため」と後段の「~促進される」と同じ目的を重複して記述したりの迷文が登場する。
「本市は、集客を促進する。そのために、様々な観光コンテンツを開発する。おもてなしを充実させる」と文章を短くきれば、間違わないし重複も避けられる。
ところで、直してもらった文章は、確かにわかりやすくなった。でも、はっきり幼稚っぽかったので、別の上司がさらに直しを要求してきたということにして、また元に戻して完成原稿にした。
市長になったつもりで仕事をしろ
新採当時、上司や先輩いろんな人から言われた言葉が「市長になったつもりで仕事をしろ」だった。
あんまり多くの人から言われたので、疑問を持つことなく、そういうものだと思って働いてきた。
しかし、その意味するところは様々。市民にとっては、向き合う職員が市の代表なのだ、そのつもりで応対せよというもの、市役所の仕事は幅広いのだから自分の担当の仕事だけを考えてはだめだというもの、たらい回しはするなというものなどなど。
今、管理職になって、部下から「この仕事は○○課がやるべき」、「いやいや私のところではなく△△課の所管です」などと言われることがある。聞きながら、「それ、どっちにしろ僕の所管の仕事やんか、押し付け合いせんとじゃんけんでもして早く決めて」と思うことがままある。市長がそういう思いをすればたまらない。
ところで、そう言った人達は、後々、大局長になった人もいれば、市民と大けんかして飛ばされた人、メンタルの病に陥った人、外に女を作って蒸発した人など様々だ。
それでも当時は、酒を飲んだら文字通り、みんな市長になったつもりで、あんな上司では仕事にならんとか、これからはこういう方針でやるべきだなどと口角泡を飛ばしていた。
仕事が優れて達成されていたかどうかはともかく、なぜ、そんなに仕事への愛着やモチベーションが高かったのだろうか。そんなことを言い合い一緒に酒を飲めることがその源だったのかと今にしては思う。
上司への説明で焦ったり挙がったりしないコツ
上司や外部の偉い人への説明は自分の仕事がどう評価されるかという意味もあり、結構、緊張するもの。
事前準備として、説明資料を作った後に、一つ一つのセンテンスについて、その意味、背景、他都市の状況などのメモを必死で書き込んで臨むということをしがち。僕自身もそうだった。
でも、ほとんどは、聞かれもせず日の目を見ない。備えあれば憂いないとはいえ、毎度そんな絨毯爆撃のやり方は効率が悪すぎる。
いろいろな人の対策をみて、自分なりにマネをしてみて役立ったことを列挙すると。
まず、当たり前のことだが、自分で書いたことについては、理解しておくこと。よそから文章を借りてきてコピペする人が多いが、その意味を分かっていない人がまた多い。「書いていることを簡単に説明して」という素直な質問(これが最も質問として多い)に応えられないのは、資料の信ぴょう性を疑われる。
それから、自分の作った資料は一晩寝かせること。そして、他人が作った資料として見直して、突っ込みたいこと、議論したいことは何かを考え、コメント版を作るにおいては、それを中心に調べてみることだ。絨毯爆撃ではなく、ポイントを見つけて考えるクセを付けると、資料をにらむ目が作られてくる。
また、この際、自分は何を言いたいのか、その項目だけは箇条書きしておく。相手からの質問攻撃で焦って、結局、本当に言うべきことを言わずじまいという経験は誰しもあるはず。ここだけ言えれば、この点の結論を得られればそれで良しという発想で臨めば、局所戦でやられても落ち込むことはない。
それから、メンタル面では、そういう場に臨む前に、自分なりのおまじない言葉を持っておくことがいいと思う。僕は、「自分は現自分以上にもなれないし、以下でもならない」と言い聞かせて臨むことにしている。
ある人から、絶対に相手に飲まれない方法として、その人間がおんなと抱き合うシーンを想像しろと言われた。「どんな人間でも、Sexするときは、裸になって、情けない顔をするんや。このおっさんは、どんな顔でするんかなあと思ってみ。絶対に上がらへんから」
何度か試してみたが、確かに上がらなくなる。「こんなとこで、俺は何を考えてるんや」とちょっと情けない気持ちになるのは否めないが。
本当に大事なことは酒の席に教わった ― 仕事は100%の力でするな ―
新採時代、上司や先輩からしょっちゅう酒に連れて行ってもらった。今は、酒は楽しく飲もう、酒の席では仕事の話はしないという風潮になっているが、当時は、仕事を酒の肴に飲むのが当たり前だったし、ちゃかしたり愚痴をいったりするのが楽しかった。
そして、そこで語られた上司や先輩の言葉が今も僕の仕事の支えになっている。
とにかく訳も分からない新採当時、一人でよく残業することも多かった。いい時代で、上司たちは、時間外、よく職場で囲碁を打っており、戦いが終わると僕は酒に誘われた。
そんなとき、課長から「仕事は100%の力でやりきろうとするな」といわれた。
「自分では完璧だと思っても、周りからはいろいろな注文が付くこともあるし、状況の変化に応じて修正しないといけないこともある。そんな時、100%力を出し尽くして自分なりに完璧に仕上げていたら対応できないからや、それに長く続くもんやない」
当時は、そんなものか程度に思っていた。上司であれば、部下から完璧な仕事が上がってくることを望むはずだとも。
でも、この言葉は心に留まり、自分が管理職になると実によくわかるようになった。
自分が見えていることはすべてではなく、完璧であると思うことは実はそうでないことも多い。それなのにアクセルをべた踏みしていては危なくってしょうがないわけだ。
ところで、その酒の席で、一緒にいた係長が「仕事は8割ぐらいの完成度にして後は上司の手柄にするもんや」といい、課長からあほかと怒鳴られていたのが、よりこの話を覚えている理由でもある。
My役所ライフ
2017年1月から開設します
役所生活30数年を振り返り
諸先輩や同僚から教わったことに
心からの感謝とともに
次代を担う若い人に何らかの参考になればとの思いで
思いつくままに書いてみます