My役所ライフ

役所生活30数年のエピソードを通じて、役所でのちょっとした仕事のコツや活き活きと働くヒントを紹介します!

ごくごく私的な

  なぜ、そんなに働くのか。

   あるエリートが「いつか常春の島で、家族とともに、好きな時間に目覚め、好きな時に釣りをして、好きなものを食べる」と答えた。

  それを聞いた南の島に原住民は、それなら、いつも俺らがやっていることだと、先進国への憧れをもてなくなった。

 

 そうだな。別に一生懸命働いたからって、お金がたくさん儲かる訳でなく、そんな誰にも喜ばれず。疲れた時、この話を思い出すんです。

 

 今、自分の家を改築していて、親のところで生活をしています。年寄に迷惑かけても、とためらっていたけど、嫁は「最後の親孝行やと思って、親のお世話になり」と(責任放棄かと一瞬思ったり(汗))。

 それで朝も夜も、そして弁当まで、何十年ぶりに、お母ちゃんにご飯を作ってもらうことになりました。

 お母ちゃんががんばりすぎて、「おいおい疲れんといてよ」と思いつつですが、これが、けっこう、うれしい。昔は、お母ちゃんご飯は好きでも、カレーライスだけは、じゃがいもが、とけすぎて嫌いだったのだけどなあ。

 

 ところで、僕は、毎晩、神さまに一日のお例のお祈りをして寝るのが習慣なのですが、親に面倒を見てもらうようになってから、親のことではなく、子どもたちの人生が幸せでありますようにと口にでるように。なんだかなあ。

 

 それから、そんなときに、スマホがブルルと「○日に飲みましょう」って、友達から来ると素直にうれしくて。

 

 で、ラジオから、玉置浩二の「メロディ」が流れてきて、「あのころは何もなくて、それだけで楽しくやったよ」。

 

 そんなとき、こんなことを書いています。

 で、僕としては、今の今を幸せだって思うことが幸せなのだなのだと思ったのです。

 とりとめもなく、書いて、生きてるだけで、本日もお許しください。

 

人を動かす変な方法

「自分は、こんなに正しいことを言っているのに、どうして、わかってくれないのだろう」とか、「上役というだけで、自分がなんでも正しいかのように、人のことを聞かないのってどうよ」、なんて思うことが誰しもありますよね。

 

人の理解を得るのは難しい、まして、自分の思うように動いてもらうことはもっと難しい。ところが、変な主張なのに、なぜか、うまく取り入って話をまとめてくる奴もいて。若い時は、そんな不合理で村社会のような人間関係を嘆いたりもしますよね。

 

今もコミュニケーションにかける時間やコストが省けたら、もっと仕事が効率化できるのにと思いつつ、おい、そこの若いやつ、もう少し早めに話をもってこいよ、話をはしょりすぎやろとしばし思うようにもなり。

 

仕事がなぜかうまくこなせる人間と主張が立派な割に物事をうまく進めない人間との差は、どこにでてくるのでしょう。

 

正面から誠心誠意話すことは大事ですよね。目上の人に必死で訴え、「お前に任せよう」というのは立志伝の定番です。

でも、相手が利害関係人だと、そう簡単なことではない。

 

ある人のやりかたは、相手がそのことを問題視する前から、雑談の中で、その話をさりげなく持ち出し、こうなったらいいですよねということをつぶやきつづける。そんなものかなあと相手は特に気にもしていないけれど、その人の潜在意識に残り、数か月後、その人は自身の主張として話してしまうというもの。

この気が長い作戦は、しかし、うまくいっているのを目撃したことがあります。偉い人って、突然、「この件をどう思いますか、どうされる予定ですか」などと誰かれに聞かれることがあって、とりあえず何か言わなければというとき、とっさに、前に聞いたことを口にしてしまうのです。こうなると、その人は、あたかも自分がそう思っていたように、その案をしゃべり、自分で自分を納得させていくらしい、、、

 

別の人のやり口。Aさんがいうことを聞いてくれない時は、複数の第3者に、愚痴を言いまくる。時には悪口を。あるいはAさんが上の人なら、Aさんはすごいけど、自分では、それを受け止められない、困った、困ったと嘆き続ける。

その第3者はAさんに彼がこんなこと言っていたよと伝える。仲介に乗り出す人もでてくる。Aさんが気の優しい人なら、悪評が立つのがいやだから、妥協する。間に入った第3者に、「この人は料簡の狭い人だ」と思われたくないから、手を緩めてくれるというものです。

 

役所経験を通じて、こんな強者を何度か見てきたけれど、自分にそんな駆け引きができる胆力もなく(やれる人はどうぞ)、安易に人に踊らされないようにしようと学んだだけですが。

それと、こういう風に物事が解決していく様をみて、もう一つわかったことは、学校のテストとちがって、世の中、正しい答えが一つとは限らないってことです。

だから、いざというときにわかってもらいたければ、日頃からのコミュニケーションが大事だってことだけは、間違いないです。

 

レンガ職人が訴えること

ある人が道を歩いていると、レンガを積んでいる職人たちに出会い、

「何をしているんだい」と尋ねました。

最初の職人は、「決まっているだろう、レンガを積んでいるんだよ」

二番目の職人は、「レンガで壁を作っているのさ」

三番目の職人は、活き活きと「教会を作っているのさ」と答えました

 

経営は明確なミッション・ビジョン(=教会を作る)を示さないといけない。それを共有することで個人のモチベーションが高まり、組織の成果も高まるということを、P.F.ドラッガーは、このイソップ寓話を使って説いています。

 

この話は僕も好きで、朝礼のネタで困ると、よく使わせてもらっています。

あるとき、この話をした後、年配の技術職の人がつかつかと寄ってきて、「課長、よくわかった。壁を作るのに、古臭い方法ばっかりしてないで、外壁パネルとか新しい素材を使えっていうことですよね!俺らがんばるで」

う~ん、そういうつもりでは、、と思いつつ、「うん、がんばって」って(苦笑)

 

ところが、最近になって、この人の理解は、確かに話の核心なのだなあと思うようになりました。教会を作る目的のためには、レンガを積むことにこだわらず最もふさわしい方法を探せってことか。

 

人は、ミッションを理解していても、過去のやり方を否定しにくいものです。レンガ職人はレンガを積むことが自分の人生だった。こだわるのは当たり前。変わっていかなければと薄々感づいていても、やっぽど、より良いアプローチがない限り、これまで以上、一生懸命(倍のスピードで)、レンガを積み続けることを選択し、自分の努力に納得しようとします。

 

そうなると担当者の仕事は、結果的に囚人の穴掘りと同じです。にもかかわらず、管理職がそれに同調してしまうと、教会を作っているつもりが誰も立ち入れない擁壁ができてしまったってこともありえます。これって、みんな不幸です。

 

実際、バブルが崩壊した後も建売住宅を建築し続け大量の売れ残りになったこと、規則を盾にとって拒否していたら、規則が実は法律上間違っていて立場がなくなったことなど、レンガを積み続けたことによる失敗を僕自身、体験しました。

 

さらに公務員は、官僚の無謬(むびゆう)といわれるぐらい、間違いを認めにくい性質。過去を善しとして取り繕おうとしがちです。

レンガ職人から、「おまえが虚心坦懐に判断しないと俺らも困るんだよな」といわれている気がするのです。

 

働く意味

 同じ夢を何度も見るということがありますよね。僕の場合、寝坊して大学の講義に間に合わない、用意しようとしたら、さて時間割もわからない、このままだったら単位もままならないと焦っている夢です。

 

 寝坊したら休んでいたという以外ほぼ大学時代そのもので、単位を取れればそれでいいという感じでした。その一つに、授業に2/3以上出席すれば必ず単位をあげますという評判につられ、他学部生であったけれど、受講したのが労務管理論でした。

 

 講義は、照明の明るさを時々変えると労働の効率性があがるというテイラーシステムに始まって、人間が生きる動機は、生理的な欲求に始まり、それが満たされると安全を求め、次に、社会的欲求、尊厳欲求、自己実現欲求に高まっていくというマズローの欲求5段階説などと進んでいきました。教科書どおりで、テストもなんとかなりそうだなあと思っていたところが、最後の授業で。

 

 ― 皆さん、人間は本当に段階をおって欲求を満たすためだけに生きているのでしょうか。そのために仕事をするのでしょうか。フランクルの「夜と霧」という本があります。ナチスユダヤ人収容所という生命さえ脅かされている極限状態にあっても、音楽を演奏し人を楽しませ、自分の食事を他人に分け与え、励ます人達がいました。どんな状況にあっても生きる意味があります。

 同時に、どんな仕事でも働く意味があります。生活もままならない収入の仕事でも、精神的に追い込まれるような仕事でも、誇りをもって活き活きと働いている人を皆さんも知っているでしょう。

 ぜひ、皆さんが社会にでたら、何かを得るために働くのではなく、Meaning of Workを見出して、Quantityではなく、Quality of Lifeを大事にしてください。 ―

 

 この講義を今も覚えているのは、大学3回の後半で、自分の進路を考えなければならないにもかかわらず、モラトリアムな人生への未練絶ちがたく、ぜんぜん就職への具体的な意向も夢も持てずに、悶々としていた時期だったということがあります。

 

 で、そのせいかどうかはともかく、公務員になった訳ですが、Meaning of Workという言葉は、実家の柱に貼ったままの古い御札のように、今も僕の心の隅っこにくっついています。正月など節目節目に、ふっと目の前に現れては、問いかけてくれるのです。

 

 本年が、皆様にとって、楽しく仕事ができる年でありますように

役所の中で戦略ってなんだ

 いま外郭団体で勤務していることもあって、改めて経営の本を読んでいます。

その中で、役所でも、よく言われながらなかなか縁遠いなあと思ったのが戦略です。

 

 戦略とは、勝つために明確な目標(ゴールとする場所や数字)を設定し、所有する資源(人、金、資材など)をどう振り分けていくかということのよう。

 ある戦いにおいて、自分の力が相手を完全に上回っていれば、全ての戦場で正面からぶつかって力で圧倒し、全戦を掌握する。一方、逆の場合、例えば5つの戦場があれば、そのうち3つを選択し、そこに力を集中させることで、3対2で勝つことを目指す。

 また、選択する戦場は、自分の得意とするところを基本とするほか、相手が数で上回っている場合は、広い場所での総力戦をせず、狭隘な局地戦に持ち込む。相対できる人数を制限することで数の論理を克服する。そして、局地戦に一つずつ勝利をしていけば、数の大小は克服できる。

 

 ひるがえって、役所では相手に勝つとか負けるという発想の業務はほとんどありません。そして、総合行政なので、あらゆる分野に対し、限られた予算や人をまんべんなく振り分け、やりくりします。どの分野も十分ではないけれど、必要最低限は確保されている状態を目指しがちです。これは福祉や環境といった基礎的な分野では理解しやすい。

 

 ゆえに、役所では戦略的な思考回路が育ちにくいのが実情ではないでしょうか。とはいえ、自分の担当するフィールドでは、与えられた人員と予算を戦略的に活用し、ビジョンを達成、すなわち勝つことを目指さないといけない。勝てるところはどの部分か、予算も人も少ないのだから、レバリッジに成り得るトリガーを探し、そこで勝利し次に進んでいくといったストーリーが必要なのでしょう。

 

 自分の組織運営はどうかと考えると、課や係の人数は硬直的で、それに対してA係にはこの仕事とこの予算、B係にはこの仕事とこの予算と、その器ごとに、目いっぱいの課題を詰め込んでおり、結果的に選択と集中ができていないなあと反省します。

 

 ところで、逃げるのが上手い人、難しい仕事は理屈をつけて先送りしたり、人に振ったりしながら、自分のめだつこと、得意なことはすすんで仕事をして評価される人がいますよね。

 こすいなあ、自己中だなあと思っていましたが、これって、自分のもつ資源能力を踏まえた最も合理的な戦略だったのだなあ(全体最適かどうかはともかく ; 苦笑 ; )

話し方の練習はしてますか

    話し上手な上司がいた。市民向け講座や職員研修で率先して講師をつとめ、笑顔を絶やさず、わかりやすく話をする。随行していて、いつもすごいなあと思った。

「どうして、そんなに話が上手なのですか」と尋ねると

「練習したら誰でもできますよ。あなたも話し方教室に行ったらどうですか」

 

 話すという行為を練習するなんて思いもしなかったが、薦められるまま僕も応対研修やプレゼンテーション研修などに参加し、興味を覚え本も読んだ。

 ところが、それらの多くは、話は起承転結でまとめよとか、相手の話をきちんと聞く傾聴が大事とか、相手が必要と思うことを話せとか、話の中身に関することで人としての姿勢・資質に関わることが多く、一朝一夕に習得できるものは少なかった。

 

 でも、やっぱり話しは、最低限、自分の言いたいことをきちんと言える(伝えられる)ようにするのはすごく大事。そのため精神論ではなく、僕なりに、気を付けておくだけで改善されると思う点は次のとおりです。

 

 まず、話し始める言葉のトーンを少し高めにすること。相手に威圧感を与えず、自分も高揚するので、話が進みやすい。もちろん、状況を考えてのことだけど。

 次に、なくて七癖というように、自分の話しクセを封印すること。多くの人は、えーと、あのうが実に多い。あるいは、~ですからと文章を続けまくるので、何を言いたいのかわからず、文章の区切れがない。それらを封印して、ワンセンテンスを続けてしゃべることを意識しましょう。また、話はじめに「でもね」と始める人も多いが、喧嘩を売るしゃべり方なので封印。

 自分のクセを封印することで、相手がしゃべっている最中でも、次の言葉は何をしゃべろうという反撃をする意識が落ち着くし、相手も聞きやすくなる。

 それから、つい思ったことをズバッと言いすぎる人向けには、自分の主張を断定口調にせず、語尾に「~かもしれないね」「という考えもあるかなあ」を付ける。

 そして、できるだけ、ゆっくりしゃべるなど。これらに気を付けることで、一方的なしゃべりから「対話」になりやすいです。

  自分の話し方の特徴を考えて、いくつかの機械的なパターンを決めておくと格段に話がうまく聞こえますよ。

 

 マラソンを始めるならランニング教室に行く。練習をすれば速く走れる。料理も自己流もあるけど、上手い人のマネをする方が絶対においしいものが作れる。話し方だけが話せてるからと軽視される理屈はないと思う。

 

 ところで、その上司は、子どもの頃、吃音に悩まされ何とか克服したと思ったら、係長試験の口頭試問では緊張のあまりまったく受け答えができず、周りを心配させた経歴の持ち主だった(と別の人から聞いた)。どれだけの練習されたのでしょうか。

 

 

お役所仕事ってなんだ?

 

 遅れず、休まず、働かずが、お役所で働くこつだと言われる時代があった。不況になると「公務員って、適当に仕事しても首も切られず給料もらえていいですね」なんて、露骨に言われることもあった。

 

   仕事が楽だったことはひとつもなかったので、すごく嫌な気分だったなあ。確かに、公務員の仕事って、数千円の文具を買うのにも見積もり合わせが必要だし、新しい事業をするには議会で予算を承認してもらわなければいけない、その後も法律等で手続きが厳格に定められ書類が多いなど、民間企業とは異なる、見えにくい部分で時間を使うのだけれど。

 

   それでも最近は役所内でも、スピード感をもって成果重視で取り組もうと目標管理制度や業務改善など民間経営手法が導入されるようになった。

 

   それはすごく大事なことだけど、

   もう定年になった先輩が

「役所の仕事にスピード感といっても、なかなか計画どおりに進むことなんか、ないんだよなあ」と酒を飲みながら言うことに、まあねとうなずく自分もいる。

 

「民間なら、勝てるところに集中的に投資をし、見込みのない事業は早々に撤退するけど、市民や企業が役所に求めるのは、社会の流れに乗り遅れた分野をどうするかということやからねえ。そんなところほど、利害関係者も多くて、おまけに生活弱者を対象とする場合が多いわけだから、無茶なやり方はできないわな」

 

「思い切って整理するにしても、対象者や支援者の納得は絶対必要。 これには時間が非常にかかる。事態を今より改善するためには、砂漠を緑化するつもりでお金もかけないといけない状況もある。そして役所に借金が残る。関係のない多くの市民は何やってるんだということになる」

 

 「まあ、現役はたいへんやなあ、がんばれよ」という気楽な励ましには、いいわなあ、皆さんは、退職金、年金を満額もらえて退職して、(しんどい仕事を残したままでとは思いませんが(笑))、僕ら65歳まで年金も無支給やでえという言葉を飲み込みつつ、はいはいと受け流す。

 

 人口が減少、少子超高齢社会で役所の仕事はますます繁盛。行財政改革で予算も人員もかなり減ってしまった中、スピード、効率、成果が最重視しないと仕事は回らない。

 

 だけど、市民の役に立つところと書いて、お役所。時間をかけることをただ是とすることもなく、切り捨てる決断もただ是としない、第3の方法を模索しながら、役所に働く以上、役所って役に立つところだなあと言われたいですね。